たのおか旅行ノート

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角館の城下町は誰が作った? 歴史を知っておけば見所が分かる!

秋田県、角館にやってまいりました。「みちのくの小京都」とも呼ばれ、歴史を感じさせる風情のある街並みが有名な観光地です。

このような場所は全国にありますが、角館の場合はどのようにできたものなのでしょうか? というわけで、今回は訪れる前に知っておきたい角館の歴史や人物について調べてみました。あらかじめこういった予備知識を押さえておくと、実際に観光する際に見所が分かったり、より深く楽しめるかと思います。 

それではどうぞご覧ください。

 ※2019年3月に行った「北海道&東日本パスで行く東北鉄道旅行」5日目②の記事になります。

秋田県・角館の場所を確認

まずは場所を確認しておきましょう。角館があるのは秋田県東部の仙北市。JR田沢湖線の角館駅が最寄りで、ここには秋田新幹線も停車します。

 

角館ってどんなところ?

角館は「みちのくの小京都」とも呼ばれるように、古い建物が立ち並ぶ街並みが特徴的。それゆえ観光地としても人気があります。古い建物にもいろいろありますが角館に残るのは武家屋敷。これはかつて角館が城下町だった時のものなのです。

tazawako-kakunodate.com

 

角館の城下町はいつ誰がつくった?

それではこの地にお城および城下町が整備されたのはいつ頃で、誰によるものなのでしょうか?

 

角館城を作ったのは戸沢氏

城下町はお城を中心として発展した街です。角館の場合は角館城。築城主は誰でしょうか?

角館城を築城したのは戸沢氏という大名。室町時代~戦国時代にかけてここ仙北地方を治めました。

城を造ったのは戸沢氏、ということは角館の城下町を整備したのも戸沢氏でしょうか? 実はそうではないのです。

 

関ケ原の戦いの結果、転封されてしまった戸沢氏

1600年・関ケ原の戦いにて戸沢氏は徳川家康の東軍に属し、同じく東北地方の大名、最上氏とともに上杉氏と戦いました。上杉氏は越後(=新潟県あたり)を治めていた大名です。

この結果、戸沢氏は常陸(=茨城県)へ転封(=別の領地に飛ばされること)されてしまいます。普通なら勝利した東軍に属していた大名は褒美をもらうはずなのですが、なぜこうなってしまったのでしょうか?

その理由は戸沢氏が戦いにおける姿勢でした。戸沢氏は上杉氏を討伐することで秋田氏という大名の勢力が拡大するのを恐れ、戦いに積極的に臨まなかったのです。秋田氏は出羽北部(=秋田県北部)~津軽(=青森県西部)を治めていましたので、ちょうど戸沢氏の背後にいたことになりますね。

こうして戸沢氏は角館を去ることになります。

 

摺上原の戦い ×蘆名義広 vs ○伊達政宗

それでは戸沢氏が角館を去った後、この地を治めることになったのは誰でしょうか? ここにもちょっとした歴史の流れがあります。

関ケ原の戦いが起こる前、蘆名氏という大名が会津(=福島県)を治めていました。蘆名氏は有力な大名だったのですが、次なる当主ががいないという後継ぎ問題を抱えていました。

そこで蘆名氏は血縁関係のあった佐竹氏から養子をもらうことにします。こうしてやってきたのが蘆名義広(あしなよしひろ)。義広は蘆名氏の当主となり、黒川城(後の若松城)に入ります。ちなみに佐竹氏は常陸(=茨城県)を治める大名です。

養子を誰にするかを決めるのには大いに揉めました。というのも蘆名氏と血縁関係のある大名は他にもあったから。それが伊達氏です。仙台藩当主のイメージが強い伊達氏ですが、このころは米沢を治めていました。結局、佐竹氏から養子をとったため蘆名氏と伊達氏の仲は険悪ムードに。それだけでなく蘆名氏内部にも伊達氏派がいたためゴタゴタはよりひどくなりました。

この状況に乗じて奥州統一を目指す伊達政宗が立ち、蘆名氏を攻めます。結果は政宗の大勝。蘆名義広は名を義勝と改め、実家である佐竹氏のところに逃げ戻ります。

 

関ケ原の戦いの結果、義重は角館へ

そしてまたまた関ケ原の戦いです。佐竹氏当主であった佐竹義宣(蘆名義勝の兄)は関ケ原の戦いにおいて東軍・西軍どちらにつくでもない態度で臨みました。そのせいもあってか佐竹氏は出羽(=秋田県)へと転封されてしまいます。戦いに参加しなかったため兵力を温存していた佐竹氏を江戸から遠ざける意図があったとする説もあるようです。

そして行動を共にしていた義勝も一緒に出羽へ。こうして角館をおさめることになったのです。

とどのつまり関ケ原の戦いの戦後処理の結果、角館周辺を治めていた戸沢氏が常陸へ、常陸を治めていた佐竹氏とそこに逃げていた蘆名氏が代わりに出羽へ領地を移されたということになるようです。

 

角館の城下町を整備した義勝

角館に入った義勝は城下町を城の南側に移転させ、街を整備しました。このようにして造られた街並みが今日の角館に繋がっているのです。

ちなみに角館城は1615年の一国一城令によって破却されました。

 

佐竹北家により京の文化がもたらされる

蘆名氏による支配は3代続いた後に途絶えてしまいます。代わりに入ったのが佐竹氏の分家である佐竹北家の人物、佐竹義隣(よしちか)です。義隣は京の公家を父に持つ人物でした。また、佐竹2代目の義明も京の公家の娘を正室に迎えたりしました。この結果、角館には京の文化が多くもたらされることになりました。これが小京都と呼ばれる所以です。

 

参考サイト

 

 

城下町・角館の見どころ

当時の面影を今に残す角館は「重要歴史的建造物群保存地区」にも登録されています。武家町ならではの見どころに注目です。

 

防衛を意識した道路

城下町というだけあって防衛を意識した地割になっています。こちらはクランク状になった道路。これによって見通しが悪くなっており、攻められにくくなっています。

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武家屋敷が建ち並ぶ「内町」

町の北側は「内町」といって武家屋敷が建ち並ぶエリアになっています。

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左の写真は雪対策でしょうか。

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内部が見学できる4つの武家屋敷

 武家屋敷のうち内部が見学できるのは、

  • 青柳家(有料)
  • 石黒家(有料)
  • 旧石黒家(無料)
  • 岩橋家(無料)

の4つがあります。青柳家、岩橋家は蘆名氏時代から有力な家臣として仕えた家柄です。蘆名氏の滅亡後は佐竹北家に仕えました。石黒家は佐竹北家が入ったタイミングで義隣に召し抱えられえたようです。

 

武家屋敷「青柳家」を見学

今回は「青柳家」を見学してみました。めちゃざっくりとですがご紹介。

www.samuraiworld.com

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 その他にもレコードなどのコレクション、昔使われていた農具、庭などを見学することができます。

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本当はもっといろいろあったんですが…。機会があったら追記していきたいと思います。

 

江戸時代の角館出身の画家:小田野直武

青柳家ではこの人物、小田野直武の展示がされていました。青柳家と婚姻関係にあったためのようです。

直武は武士としてに生まれながらその絵画の才能を見出され、平賀源内から洋画を学び、解体新書の挿絵を担当した人物です。非常に興味深く拝見しました。

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パネルにて生い立ちから詳しく解説されています。

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かつての商人町「外町」

町の南側は「外町(とまち)」といって商家が集められました。かつては「内町」と「外町」の間に土塁が築かれていました。これにて火事の延焼を防いだのだそうです。

 

「安藤醸造」さんの蔵を見学

「安藤醸造」さんは享保、つまり江戸時代から角館にあって味噌や醤油を醸造してきた老舗で、「外町」の代表的なスポットでもあります。

もちろんそのような製品も販売されていますが、今回はかつて収納蔵として使われていたという文庫蔵を見学させていただきました。

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蔵を見学。たまたまひな人形を飾っておられる時期でした。これはかなり立派。
近頃はあまり見なくなりましたよね。

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ふすま自体も芸術品です。

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お昼ごはん お得なサービスランチ@「しちべえ」さん 

この日、お昼ごはんを「しちべぇ」さんで頂きました。ざっくりと紹介。

sichibei.com

 

平日のお昼限定のサービスセット。

いや、これがですね、大変おいしかった。やっぱりご飯とおかずと汁が揃ってるのっていいですよね。

いぶりがっこも美味。ご飯もお替りできて満腹です。

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角館まとめ

それでは全体のまとめです。ポイントを整理してみます。

  • 角館城を造ったのは戸沢氏
  • 関ケ原以降は蘆名氏が治め、城下町を整備
  • 蘆名氏滅亡後、佐竹北家が入り京の文化をもたらす
  • 武家屋敷が集まる「内町」
  • 商家が集まる「外町」
  • 小田野直武は解体新書の挿絵を描いた画家

 

こんなところでしょうか。思いのほかボリューミーな記事になってしまってあまりまとまってないかもしれませんが参考になれば幸いです。

今回はここまで。また次回!

 

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しばらくお待ちください!

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<1日目①【福島県・会津若松】>

鶴ヶ城(=若松城)の前身である黒川城はかつて蘆名氏のお城でした。摺上原の戦いで敗れた後は伊達氏のものになりますが、その後はどうなったのでしょうか? ということが書いてあるかなと期待しましたが抜け落ちてるので追記予定であります(汗)。

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