たのおか旅行ノート

旅行をいろんな切り口で書くブログです。

会津戦争の舞台 鶴ヶ城と飯盛山 藩士・白虎隊の生き様が胸に来る

福島県西部、会津若松にやってきました。城下町として発展し、歴史を感じられる観光スポットがたくさんある街です。

今回はその中から鶴ヶ城(若松城)飯盛山をご紹介。いずれも戊辰戦争(会津戦争)の舞台となった地です。

実際に場所を訪れたり展示解説を読んだりすると、会津藩士や白虎隊の生き様・苦悩が思われて胸に来ました。

それではどうぞご覧ください。

※2019年3月に行った"北海道&東日本パスで行く東北鉄道旅行"1日目①の記事になります。 

会津若松のシンボル 鶴ヶ城(若松城) 

会津若松城とも呼ばれる鶴ヶ城は会津若松氏のシンボル。

1384年(南北朝時代)に蘆名直盛(あしななおもり)によって築城された黒川城が前身です。1592年(安土桃山時代)に蒲生氏郷(がもううじさと)によって大改築がなされ、より本格的な近世城郭へ。名前もこのとき鶴ヶ城と改められました。

1868年(江戸時代末期)には戊辰戦争(会津若松氏)の舞台となり、約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐え抜きました。

その後明治時代に入って取り壊されましたが、昭和~平成にかけて再建・復元が行われ、現在の姿となっています。

参考:若松城 - Wikipedia

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鶴ヶ城の見どころ① 天守からの眺め 会津の街と山並みを一望!

ここ会津は周囲を山々に囲まれているため雄大なパノラマを臨めます。

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鶴ヶ城の見どころ② 城内の展示は圧巻のボリューム! 会津藩士の生き様を感じる

鶴ヶ城内は会津の歴史に関する博物館となっています。展示解説はかなりボリュームたっぷりなので、じっくり時間に余裕をもって見学するのがおすすめです

やはり刮目すべきは幕末から明治にかけての解説。その劇的なストーリーに引き込まれます

この時代、会津の地は戊辰戦争の舞台となりました。大政奉還の後、完全に江戸幕府を打ち倒そうとする新政府軍と、それに抵抗する旧幕府軍の戦いです。

会津藩主であった松平容保(まつだいらかたもり)は新政府に恭順するか、幕府サイドとして抗戦するか決断を迫られるわけですが、容保は先祖代々の家訓に従って後者を選択します。

しかし戦況はは苦しく、容保は鶴ヶ城に1か月にも及んで籠城し続けましたが、ついに降伏に至りました。

その後の敗戦処理では松平家は南斗(青森県東北部)に減封され、多くの会津藩士や家族がこの地を去ったと言います。

容保やその一族、会津藩の人々は大きな時代の流れに巻き込まれ、苦渋の決断をした上で命を賭して戦いました。しかしその後の時代は朝廷に逆らった逆賊として扱われてしまったのです。

彼らの辿った運命に胸を打たれました。

 

鶴ヶ城の見どころ③ 茶室麟閣 美しい庭園とお抹茶が頂けます

鶴ヶ城の敷地内には麟閣(茶室)があります。

建てた人物は千少庵(せんしょうあん)。千利休の子です。

会津藩主蒲生氏郷(=鶴ヶ城を改築した武将)の茶道の恩師であった千利休。しかしある時、豊臣秀吉の怒りに触れ自害させられてしまいます。

氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しみ、小庵を会津に招き、茶道振興のため滞在させました。その時に小庵が建てたのがこの茶室です。

蒲生氏郷は優秀な武将だったと伝えられますが、それだけでなく茶道の心得もある文化人であったことが伺えますね。

美しい庭園を鑑賞できるほか、600円でお抹茶を頂くことができます。

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鶴ヶ城の見どころ④ 御薬園 広々とした日本庭園 薬草園としても楽しめます

御薬園は旧会津藩主松平氏の別荘で、もともとは藩の薬園であったことに由来します。

ここの広々とした美しい日本庭園です。春夏秋冬、四季折々の景色が楽しめます。

また薬園だったということもあって、様々な薬草・ハーブあるいは毒草も植えられていました。草の種類や有効成分などのキャプションもついていて興味深く散策しました。

私が訪れたときはちょうど雪もなく草花も枯れ気味で残念なタイミングでしたが結構良かったです。それでもこれから行かれる場合は是非良い季節を選んでくださいね!

なお、鶴ヶ城・麟閣からは少し離れているのでご注意ください。

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白虎隊の自決の舞台 飯盛山 

飯盛山も鶴ヶ城と同じく、戊辰戦争の舞台となりました。

会津藩は会津戦争に際して、16,7歳の青少年たちを招集し白虎隊を編成、出撃命令を下します。もともとは予備兵力として想定していた白虎隊の出撃は、かなり状況が逼迫していたことを思わせます。

戦局が悪化する中、打撃を被った白虎隊(二番隊)が落ち延びたのがこの飯盛山でした。

しかし彼らはそこで、火の手の上がる鶴ヶ城の姿を目の当たりにしたのでした。

実際に燃えていたのは城の周囲の屋敷でした。落城と早計した者も、鶴ヶ城は不落だと言い張る者もいたようです。しかし最終的に彼らはその場での集団自刃を決断しました。誇り高い武士ゆえの決断でした。

このことは現在でも飯盛山の悲劇として語り継がれています。

 

飯盛山の見どころ① 山から臨む鶴ヶ城 白虎隊の追体験

飯盛山に登ると、白虎隊が見たのと同じように鶴ヶ城を見ることができます。なんだか感慨深いものがありました。

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分かりにくくて申し訳ないです…。

飯盛山の見どころ② 白虎隊十九士の墓 心静かにお参りを

飯盛山には白虎隊十九士の墓があります。

白虎隊は会津戦争にて新政府軍に抗って戦ったため、その遺体の埋葬を明治政府に禁じられていました。

飯盛山への埋葬が許されたのは明治2年になってからのこと。

なんだか撮影は憚られたので写真はありません。心静かにお参りしましょう。

 

飯盛山の見どころ③ さざえ堂 外見も中身も特徴的なお堂

飯盛山に来たら押さえておきたいのがこのさざえ堂です。

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見てもらうと、かなり不思議な外観ですよね。

この六角形のお堂の中はらせん状の構造になっており、参拝する人は中をぐるぐると回りながら上へ登っていきます。

一番上に着いたら今度は下っていくのですが、このとき上がってくる人とすれ違うことはありません。上がりと下りで別の経路を通るように設計されているからです。面白いですよね。

このような構造になっているのは多くの参拝者がスムーズに安全に通れるように、という理由だそうです。

中には西国三十三観音像が安置されています。

 

会津若松の街を巡るには? ハイカラさん号&赤べこ号で!

会津エリアでは観光に便利な観光用の周回バス、ハイカラさん号と逆回りの赤べぇ号が運行されています。本数も多くて便利です。

今回紹介した鶴ヶ城・御薬園・飯盛山はそれぞれ少し離れていますが、バスを利用すると無理なく見て回ることができますよ。(麟閣は鶴ヶ城の近くです。)

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”ハイカラさん号”こんな車両に乗れたらラッキー!?

1日乗り放題の”ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券”が会津若松駅のバス営業所や各観光施設にて販売されています。これでお得に移動しましょう!

こちらをご参照ください。

www.aizubus.com

 

会津戦争の舞台 鶴ヶ城と飯盛山 まとめ

ここまで会津若松の観光スポットをご紹介してきました。幕末~明治にかけての時代が好きな人には是非訪れていただきたい街です。

今回紹介しきれなかったスポットも多数。見どころ満載の街ですよ!

今回はここまで。次回、お楽しみに!

<次回の記事はこちら:"北海道&東日本パスで行く東北鉄道旅行"1日目②>

www.tano-oka-trip.com

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